金と幸せ
※長いのと個人的偏見もあると思うので、それが了承出来る人だけ読んでください。
女性は打算的だと言われる事が多いが、それはまあ性質的に仕方ない部分なのだと思う。そうやって家庭、家計を守るように特化している部分もある。
ただ、いくらそれに特化していたとしても、それに伴う選択の責任は自分にある事を忘れてはいけないと思う。
というか忘れてる人が多い印象なのだ。
同性であるが故に、女性からの話はどうしても耳にする。
いい年齢なので、家庭の中に入ってる人や離婚をした人の声も沢山聞いた。
男性にそれがあるかというとそれも分からないのだけども、ともかく女性は客観性を持って自分の責任と照らし合わせて不満を訴えている人が少ないような印象を受ける。
家庭の不満のワーストワンは夫への不満が多い。
そういうのを耳にすると、たいがいの場合要約すれば『自分は正しくて夫が悪い』というものだ。
確かにその人の談を聞けば夫が悪いように思う。
何でそんな事をするのかという疑問が湧くほどには酷い。
でももうちょっと考えてみれば、そもそも何でそんな人と付き合って結婚し、その上子供まで作ったのかという事になる。
昔と違って今はほぼ恋愛結婚であり、その選択は誰あろう不満を言っている女性その人が決断した事である。
うちの母などは全く持ってその代名詞だと思うけれども、母は昭和の初めの方の人なので、時代とまた育った地域性などもあって、女性が不満を言えない状況でもあった。
まあ一応恋愛だったので、決断はやっぱり自己責任だとは思う。
(そこの判断をしてなかった事によって、後々子供にまで影響するのだからこちらとしては、よく考えれば迷惑この上ない)
しかしそんな決断を下した自己責任について、ついぞその女性の口から『自分も悪かった』と言う話は聞いた事がない。
果たしてそうか?私はいつもそれが疑問だ。
また女性の口から、結婚する男性は経済的に安定しているというのが一番大事であるという事も良く聞く。
不満を訴えている女性は、家庭の財政的には安定している人が多いようにも思える。
自分で知りうる限り、困窮してて夫を悪としているのは2人位で、その他は多分現在と結婚する時までは経済的に裕福だと見込んで結婚に至ってる節がある。
もちろんその後家庭を支えて行く夫の経済が豊かであるというのはとても大事な部分だと思う。しかしその部分を頼りにするあまり、他の部分が甘くなってないかと思う。
もちろん経済的裕福な男性は、女性に対して優位な行動を取る。
養っているし、豊かに生活させているんだから、自分の満足を第一優先にするのは、割と欲望としては当たり前の行動じゃないだろうか。
それが良いとか悪いとかよりも、そういう行動を取るというのは、普通に考えても『するだろう』と推測出来る、という事だ。
金持ちが良い人かと言えば、横柄な人を想像する方が多いという事である。
つまりそんな当たり前に推測出来る部分もスルーして決断したのは自分なのである。
更に付き合っていた頃はとか、同棲何年しても分からなかった、などと言う人がいるけれども、それはその人の落ち度だと思う。
また、聞いた話の中に、付き合っている時に既にその兆候が出ていたのにも関わらず、結婚まで進んだ話を聞いて、どう考えても自業自得ではないかと思った。
夫の側も確かに悪いと思う。
何を言っても聞かない、言うのも疲れたし、実際自分が疲弊するほど不満だというのもまあ分かる。
ただちょっと考えて欲しい。
そのレールを引いたのは確かに自分だという事を。
自分の責任を棚に上げて、全てを人のせいにしないで欲しい。
聞いてて同じ同性としても『なんだかなあ』と思う。
一体どうすれば良いかとかは分からないし、その人がどうしたいのかと言えば、夫が改心して自分に協力的になるという一方的な願望なので、多分どうにもならないと思う。
もしそこで夫の事を憎んだりするなら、それは子供にも悪影響なので、むしろ離婚とかした方が子供も歪まないのでお勧めする。
ただ、裕福な男性を選択する女性は、結構物質的な豊かさを優先するきらいがあるのでどっちもどっちだし、専業主婦だったりもするので離婚するという選択肢は選ばないようだ。
しかしある年齢に達すると、『同じ所で息するのも嫌』とかになるらしいので、何十年もそんな環境で暮らして幸せはないよなと感じる。
10年位見ている人がいるけども、10年ずっと夫への怨嗟を吐き出している人がいる。
よくもこんなに変わらずに不平を言い続けられると思う。
変わった事と言えば、8年間目くらいに離婚した事で、しかしあいも変わらずずっと元夫の不満やされた事を未だに言い続けている。
こんな不毛な事は私はないと思う。
金銭的余裕がないのは非常に生活には辛いけれども、元々父親を見ているために理想もなければ結婚願望もなかったため、むしろ私は夫には感謝の方が多い。
昔に戻りたいという人が多いらしいが、私は絶対戻りたくないし、昔と比べたら絶対的に今の方が良いと思う。
まあ全く夫に不満がないかと言えばそれはもちろんあるけれども、そこそこ満足が上回る位の人と一緒になれば良いんじゃないかと思うんだけども、どうなんだろう?
絵を描く人
フリーランスはやめた方がって前に書いたんだけども、そこにも繋がってるお話。
イラストレーターというかともかく何か絵を描くお仕事に就く人はポートフォリオとか作ると思うんだけど、作品のバリエーションや過去作品とか入れる訳で、そこで雇う側が何を見るかという一参考意見。
まず、バリエーションなんだけど、その人が好きで描いてないバリエーションって雇う側が見ても何にも思わない部分がある。
それは一応、『こういうのも描けるっぽいと言いたいんだなあ』というのは分かる。
でも本人もそこまでそのジャンルの絵が好きではない、興味がない、売り物として達してないというのが分かるだけだったりする。
そんなのを沢山見せられるよりも、一番自分がやりたいもの、好きなもの、これだったら画力とかでは負けても、熱意だけは負けません!という気持ちで描いた作品の方が雇用する側の人間の目に留まる。
つい最近、カラーもキャラも、そこそこ(私なんかよりは断然上手いとは思う)人のポートフォリオ見たんだけど、こっちとしてはまあ上記の意見と、じゃあどこで使えるのかなって考えた時に、あまり使い所がなかったのだった。
ポートフォリオって実際自分が提示する時って何を入れれば良いか分からなかったけども、自分が見ると分かってくるなあと思った次第でした。
で、もしそこそこのまま行くなら、第一線に出るのは諦めて、すんごい上手い人のアシスタントのような事や、そこで必要とされるその他の事(文章作成とかエクセル使えるとか、校正が出来るとか)が出来るようになればそこそこでもお仕事はあると思われます。
夢を壊す
長い年月生きて来て、とりあえず自分のやりたい仕事にも就いて、今はまた一番経験の長い職に戻ってるんだけど、そこで思うのはやっぱり『やりたい事で生きて行く』というのはものすごく大変だし、精神がヤバイと思う。
今の職は長いけど、好きで言ったら三番目位な感じ?
なのでここですごくダメでも、自分をけなす状態がマックスまでは行かない。
これが一番の希望職の場合は、死にそうになるほど凹んだりすると思う。
自分の不甲斐なさが全部自分の責任というか。
なりたかった(一時なった)職はフリーランスなので、納品して即お金にならなかったりなので、非常に精神衛生がよろしくなかった。
時間を対価にして雇用されているのとは大違い。
納品しても相手都合で次の仕事は来たり来なかったり。
そんなに馬力がない人はフリーランスに向きません。
出来ればやらない方が良い。
そんな事を今日再度思いました。
会社でお金頂く仕事、本当に有難い!
一と百
原作は漫画で同じ作者さんのアニメ化している作品の話。
一の方は元々その作家さんがまだプロのなる前の作品であり、かなり前の作品になる。
完結はまだで現在も続いてるし(?)今やってるアニメはその原作を他の作家さんが再度コミカライズしたものになる。
そして百の方はプロになってからの作品。
プロとは言え、ウェブ漫画としての作家を出版社が募集してデビューという形。
どっちの原作もそこそこまでしか読んでないのだけど、やっぱりデビューした後の作品の方が、共感性が高い作品作りになってると思う。
一の方は、他の人はほぼいらないんだよね。
主人公も別に葛藤とかはしてない。
メチャクチャ強い主人公が全くそうは見えないために、初めは皆舐めているが、その力や人となりを知ると一目置くみたいな感じ。
ただ主人公が出たらすべてがあっという間に終わってしまうので、話の進行としてはとてもやり辛いし面白くするのが大変になる。
何でこっちを新たにコミカライズしたのかは非常に謎だった。
難しいから。
百の方はと言えば、主人公は中学生である。
一同様にもんの凄い力を持っているけれども、本人はそれをあまり良く思っておらず、心の均衡を崩すと爆発してしまう。
そのために心のより所である師匠がいて、不安定になったら自分よりも何の力も持っていないがその師匠に助けてもらって導いてもらっている。
つまり弱点があるのだ。
中学生というまだ未成熟な年齢であるという部分で、胡散臭いが成人である師匠の助言や信頼は百に行動力を与える。
その派生で同じ年の友人も出来るし、兄弟とのわだかまりも解消したりと、最終的に百が戦って終わるという一と同じ道筋でも起伏が生まれる。
起伏がないものは単調になるし、単調なものを面白くするのは至難の業になる。
しかも困った事にコミカライズされた一は超絶技巧の漫画家さんがコミカライズしているので、多分そこそこ面白ければ見ごたえがあると思う。
所がアニメはそうじゃない。しかも一は二期になってアニメ制作会社を変えてしまっており、最新の放送分は本当に酷かった。何だあれ?って感じ。
一期が面白かっただけに余計何だあれになるんだと思うんだけど、某動物友達Pが関わってた作品なので、変な勘ぐりもでちゃう。
百の方は一期、二期通して同じ会社だったけど、それもどっちかと言えば一期が好きだったが、二期は二期でかなり楽しませてくれた。
素晴らしい作品だったので、OVAも楽しみ。
同じ作者のアニメ作品で、しかもどっちも二期までやったのにかなり差があるなっておもったので書いてみた。
宝物
アニメも商品である。
当たり前の話である。
誰かが求めるものを描く、でなければこんなにも物が売れない時代に人気も売り上げも上がるはずがない。
優しい世界を描いた作品が何故人気が出たのか。
それはそれを鑑賞した人がそれに共感したからに他ならない。
自分を取り巻くリアルでは、誰もが人よりも優れていないと価値がないという判断をする。
『使えない』そう言って自分よりも下の人を作って安心していく。
それが大多数の日常である。
精神が擦り切れ心が休まる暇などない。
だから誰かに言って欲しかったのだ。
『得意な事は皆違う。あなたがいてくれて本当に良かった』と。
そんな救われる言葉を誰もが欲している。
友人、肉親、伴侶から。
現実でもらえないそんな言葉をアニメでもらう事で、もしかしたらと心が豊かになったのだ。
希望が見えたのだ。
だからあのアニメは大事な宝物になった。
たかがアニメ。
たかがフィクション。
でも大事な宝物だった。
だからこそ皆傷付き悲しみ怒ったのだ。
騒動の最中に、そんなものは忘れて他の作品を見れば良いと言っていた創作者がいたが、創作者のくせに何と創造力が乏しいのか。
その人の作品は今後も見る事はないと思う。
来場者特典
昔は映画でも特に何の特典もなかったと思うんだけど、いつから来場すると何かをくれるようになったのか?
記憶にあるので言えば、数年前のアニメUの初総集編劇場版だったと思うんだけど、そこまで多分かなりの間アニメ映画に足を運んでおらず、参考にならない。
実写のシンゴジは特にそんなのなかったと思われ。
なのでアニメだけなのだろうか?
Uの前に行ったアニメって何だっただろうと思ったら、Yという文学小説からのアニメ化作品であった。しかし特典はなかった。
あとKというMシリーズ(これも元は文学小説?ラノベ?みたいなもの)の3部作中最初ののみも行ったけどこちらも特に何もなし。この作品だとつけてもいい気もするんだけど、なかったのは逆に不思議かもしれない。
(でも上記2作品、多分そこまで興行成績良くないしKに至っては爆死だと思った)
つーことはアニメという話でも、(上記2作品は多分始めは興行成績は見込んで垂れ線と思うので)そこそこ来場者数が見込める作品だけでもないのか?
しかし中には、上映週によって違うものを作って渡していたりする。
上記のU(度々なのは他に継続して見た作品がないので参考として何度もだしてる)の最新映画だとミニ色紙ぽいのがつく。これも週で変わってるようだ。
Uは初めの総集編でも色紙がやっぱり付いて来て今回同様キャラデザの人がラフっぽくカラーにしたものだった。
週が変わって色紙の絵は変わるけど、形態は変わらない。
この場合割と低コストかなと思うが、U自体の上映館数がさほどでもないので、それでも出血大サービスなのではないかと思う。
もっとすごいのは週ごとに特典が内容と物自体が変わるというもの。
これはかなり高コストになってしまうのでは?
実際それで動員数が行ったとして、宣伝費としての部分が高くつくのでどうなんだろう?
何度も足を運んでくれるように特典を変えるって諸刃にならないのか?
それとも、昨今同人グッズも安く作れるので、そこにものすごい注文数を出せば安くは出来るから大丈夫なんだろうか?
何度も足を運ばせる努力は、出来れば作品の内容にして欲しい気がするんだけど。
皆喜んでいるのでこんな事を言うのは無粋なのかな?
シンゴジは別に特典なんかなくても何度も行きたかったし、懐事情のせいで夫と2回しか行けなかったけど、DVD発売で即ゲットした訳で。
特典は必要か必要ないかと言えば、あまりいらないかなと思う。
そういうのがあると転売ヤーとかが沸きそうな気もするからね。
一次と二次
自分は創作に関して、一次も二次も分けては考えていない所がある。
アマチュアでもプロはだしの人もいれば、プロなのに……って言う人もいる。
まあプロというかお金を頂いて商品を作った事があるかないかは、作る作品の出来にかなり関係してくるとは思っているけども、趣味だからと言って、やっぱり良い物を作りたいというのは変わらない。
商業にするものの場合は、お金を貰っている以上、クライアントを満足させるだけのクオリティに達してないとならないと思うと窮屈で大変って部分があり、趣味の場合はそこが若干甘い……という程度の違いしかない(自分は)
なので商業なら日数が限られているのでそれを守るし、趣味なら責任は自分だけにあるからいつ出来上がっても構わないくらいかなと。
そして本題。
人様の二次創作を拝見させてもらった。
ちょっと時間があったので、自分の好きな作品を検索してみた所、過去に初めの方を見ていて、まだまだ長く続きそうだったのと、暴力や無理矢理要素があるので追う事はしてなかった。
たまたま検索にその作品が引っかかって来た。
どうやら私が見たシリーズが描き終わっているようだった。
私はお話にダメージを受けやすい体質なので、今の体調とか心構えとかをちゃんと持ち、まあ大丈夫だろうと思って読む事にした。
最悪死ネタもあり得るかな~という覚悟もした。
……で、結果は一応ハッピーエンドにはなっていた。
メインの登場人物だけがハピエンという、『一応』としか言えない感じ。
その直前に今まで深く関わって来ていた仲間が二人のせいで撃たれたりしてて、しかし最終回はそこには全く触れられず、実際触れると長くなるし、メインの片方も離れた方が被害が少なくなるような感じ……というのを多少匂わせる。
だが、私的には投げっぱなしENDにしか見えなかった。
今まで結構長い間をかけて描いて来た話を、メイン二人がくっつくだけではハピエンにはならない。
今までも二人だけしか出てこない話ならばそれでも良いだろうけども、仲間を巻き込んで、傷を負わせて、そしてその二人を心配してるし守ろうとしてる仲間をあまりにも切ってしまった終わり方に、描きたかった事が描ききれず、苦渋の選択で終わらせたのかと考えた。
そうでなくてはこの終わりはない。
しかし、作者の方のコメントを読むと、そんな言葉は全くなく、本人的には満足して描き上げたようだった。
マジか、マジでか……
創作をするという行為は少なくとも衝動が湧くくらい描きたいと思ったからだとは思うのだけど、『描きたい部分だけを描くのでOK』と『ちゃんと話になってないとOKじゃない』がある。
趣味の創作では、趣味だから自分でこれで良いと思えば終わりなのだ。
ジャッジは自分しかいない。
しかしそういう人も商業作品は読んでいるはずであり、私なんかよりも沢山そういうものに触れてるのでは?と思うのだけども、何が違うんだろう。
読む、知ってるだけでは、自分の作品には反映出来ないものなのかもしれない。
自分も昔はそうだったなと思ったので一旦納得。
しかし個人的にはええ~~って思ったのでここに吐き出した。