品質の向上とユーザーの関係

どの媒体であってもキャラクターを生み出す際は、ユーザーの目を引いて満足が行き、その作品を好きになって売り上げが上がるようにする。

もちろんそれに付随したり核になる物語も大事に面白く作ろうと思うものだが、中身まで触れないと分からない訳で、ぱっと見見せられるもので一番宣伝になるのがキャラクターデザインになる。

それの良し悪しで最初のユーザーの付きが良くなったり悪くなったりする訳なので、とりわけキャラの造形は大事だと思う。

 

ただ、その作品が人気なってシリーズ化していくと、コストの面でそういう部分を削ろうとしてくる。

これで上層部がその作品が何で人気になっているかがきちんと押さえられているなら問題ないが、ただ単に同じようで金額が安くすめばそれに越した事はない、更にシリーズが好きなファンならこれでも許してくれるだろうというような甘えがあったりする。

シリーズは重ねて行くとどんどん人気が上がる訳ではない。

むしろ下がって行く方が普通だ。

なので同じようなレベルか、あるいはそれ以上のものを出し続けて行かなければサービスは続かない。

しかし続かないのに何故か同じような事を繰り返している作品のなんて多い事か!

それなら潔く終わった方がまだファンの中では生き続けるのに、ダラダラと続編を出して、中身は劣悪になって行く。

中身はとっくに死んでいるのに死体を蹴って潰してそれをかき集めて泥人形を無理矢理動かそうとする。

それでも付いて行くファンもファンだ。

作品を良くしたいなら悪い部分は訴えた方が良い。

個人の意見でしょってあるけど、そんなの個人なんだから個人の意見なのは当たり前だし、それが多数なら皆の意見になるってだけだ。

 

何故制作側に文句を言ってはいけないみたいな風潮があるのだろう?

頑張って作ってくれるのだから?

そんなの自分が働くようになれば分かるけど、誰でも仕事に関しては大なり小なり頑張ってやっている。

良いサービスを提供するために出来るだけ頑張っているのがほとんどだと思う。

それでも不満に思う部分があれば、その部分は直して行くようにして欲しいと声を上げるのは悪い事ではない。

冷静にそして真摯に理由をもって訴えれば良いのだ。

 

昨今のモンスタークレーマーのようなものと意見は全く違う。

どんなものでも、作り手が作ってる過程でユーザーにこれなら満足してもらえるだろうと思って作っても、作り手はどうやっても作り手であり完全なるユーザーにはなれない。

だからこそ実際に使った後に改善点を口に出すのはその後のよりよい作品作りには必要不可欠なのである。

 

感情ではなく、本当にこの点は改善した方が良いと思えば作り手に声を届けて欲しい。

大事な事なので二度言うが、冷静に真摯に、きちんとした理由を付けて相手に敬意をもって訴えて欲しい。

絵を描く人

フリーランスはやめた方がって前に書いたんだけども、そこにも繋がってるお話。

 

イラストレーターというかともかく何か絵を描くお仕事に就く人はポートフォリオとか作ると思うんだけど、作品のバリエーションや過去作品とか入れる訳で、そこで雇う側が何を見るかという一参考意見。

 

まず、バリエーションなんだけど、その人が好きで描いてないバリエーションって雇う側が見ても何にも思わない部分がある。

それは一応、『こういうのも描けるっぽいと言いたいんだなあ』というのは分かる。

でも本人もそこまでそのジャンルの絵が好きではない、興味がない、売り物として達してないというのが分かるだけだったりする。

 

そんなのを沢山見せられるよりも、一番自分がやりたいもの、好きなもの、これだったら画力とかでは負けても、熱意だけは負けません!という気持ちで描いた作品の方が雇用する側の人間の目に留まる。

 

つい最近、カラーもキャラも、そこそこ(私なんかよりは断然上手いとは思う)人のポートフォリオ見たんだけど、こっちとしてはまあ上記の意見と、じゃあどこで使えるのかなって考えた時に、あまり使い所がなかったのだった。

 

ポートフォリオって実際自分が提示する時って何を入れれば良いか分からなかったけども、自分が見ると分かってくるなあと思った次第でした。

 

で、もしそこそこのまま行くなら、第一線に出るのは諦めて、すんごい上手い人のアシスタントのような事や、そこで必要とされるその他の事(文章作成とかエクセル使えるとか、校正が出来るとか)が出来るようになればそこそこでもお仕事はあると思われます。

 

一と百

原作は漫画で同じ作者さんのアニメ化している作品の話。

 

一の方は元々その作家さんがまだプロのなる前の作品であり、かなり前の作品になる。

完結はまだで現在も続いてるし(?)今やってるアニメはその原作を他の作家さんが再度コミカライズしたものになる。

そして百の方はプロになってからの作品。

プロとは言え、ウェブ漫画としての作家を出版社が募集してデビューという形。

 

どっちの原作もそこそこまでしか読んでないのだけど、やっぱりデビューした後の作品の方が、共感性が高い作品作りになってると思う。

 

一の方は、他の人はほぼいらないんだよね。

主人公も別に葛藤とかはしてない。

メチャクチャ強い主人公が全くそうは見えないために、初めは皆舐めているが、その力や人となりを知ると一目置くみたいな感じ。

ただ主人公が出たらすべてがあっという間に終わってしまうので、話の進行としてはとてもやり辛いし面白くするのが大変になる。

何でこっちを新たにコミカライズしたのかは非常に謎だった。

難しいから。

 

百の方はと言えば、主人公は中学生である。

一同様にもんの凄い力を持っているけれども、本人はそれをあまり良く思っておらず、心の均衡を崩すと爆発してしまう。

そのために心のより所である師匠がいて、不安定になったら自分よりも何の力も持っていないがその師匠に助けてもらって導いてもらっている。

つまり弱点があるのだ。

中学生というまだ未成熟な年齢であるという部分で、胡散臭いが成人である師匠の助言や信頼は百に行動力を与える。

その派生で同じ年の友人も出来るし、兄弟とのわだかまりも解消したりと、最終的に百が戦って終わるという一と同じ道筋でも起伏が生まれる。

 

起伏がないものは単調になるし、単調なものを面白くするのは至難の業になる。

しかも困った事にコミカライズされた一は超絶技巧の漫画家さんがコミカライズしているので、多分そこそこ面白ければ見ごたえがあると思う。

所がアニメはそうじゃない。しかも一は二期になってアニメ制作会社を変えてしまっており、最新の放送分は本当に酷かった。何だあれ?って感じ。

一期が面白かっただけに余計何だあれになるんだと思うんだけど、某動物友達Pが関わってた作品なので、変な勘ぐりもでちゃう。

 

百の方は一期、二期通して同じ会社だったけど、それもどっちかと言えば一期が好きだったが、二期は二期でかなり楽しませてくれた。

素晴らしい作品だったので、OVAも楽しみ。

 

同じ作者のアニメ作品で、しかもどっちも二期までやったのにかなり差があるなっておもったので書いてみた。

宝物

アニメも商品である。
当たり前の話である。

 

誰かが求めるものを描く、でなければこんなにも物が売れない時代に人気も売り上げも上がるはずがない。

 

優しい世界を描いた作品が何故人気が出たのか。
それはそれを鑑賞した人がそれに共感したからに他ならない。

 

自分を取り巻くリアルでは、誰もが人よりも優れていないと価値がないという判断をする。
『使えない』そう言って自分よりも下の人を作って安心していく。
それが大多数の日常である。
精神が擦り切れ心が休まる暇などない。

 

だから誰かに言って欲しかったのだ。
『得意な事は皆違う。あなたがいてくれて本当に良かった』と。

 

そんな救われる言葉を誰もが欲している。
友人、肉親、伴侶から。

 

現実でもらえないそんな言葉をアニメでもらう事で、もしかしたらと心が豊かになったのだ。
希望が見えたのだ。

 

だからあのアニメは大事な宝物になった。

 

たかがアニメ。
たかがフィクション。
でも大事な宝物だった。
だからこそ皆傷付き悲しみ怒ったのだ。

 

騒動の最中に、そんなものは忘れて他の作品を見れば良いと言っていた創作者がいたが、創作者のくせに何と創造力が乏しいのか。
その人の作品は今後も見る事はないと思う。

好きだったものが嫌いになる時

そんなタイミングはきっと沢山あると思う。

 

①同じジャンルを好きな人の違反行動を見て、自分がそのジャンルにいるのが恥ずかしくなるとか

 

②制作者サイドの色んなアレやコレが嫌になって、好きだった作品自体をまっすぐ好きと言いづらくなるとか

 

自分は経験ないけれどアンチに粘着されたりとかもあると思う。

 

上記三点はその作品で創作をしてたら創作活動が嫌になるだけでなく、他の人の作品も見れなくなる。

一緒に楽しめない。

他の人はその事についてどう思ってるのか、知らないのか、知っててスルー出来ているのか……などなど。

 

そしてそのジャンルを離れていくんだろうなと。

何だかその作品に凄く傾倒していた時の気持ちが、どんどんしぼんでいくってのは辛いものだ。

他にすごく好きな作品が出来て移っていける人はまだ良いと思う。

好きだった作品を前と同じように好きではいられないのに、それ以上にもっと好きな作品がある訳でもない。

 

ただしぼんでいくだけの自分とまだまだ楽しめている人の落差に居たたまれないのだ。

ひさびさ

映画館に足を運んで見て来ました。

TVアニメは2期まで斜めに視聴、半年位前に同じ部分を別個に劇場化したのも劇場に見に行って、今回も夫の希望で見に行きました。

原作小説を夫は読んでて見てる、私はそれを読んでないで見たという感じです。

 

映画としては2時間もない尺の中で取捨選択がめっちゃあるんだろうな~という感じでしたが、そう思いつつも個人的には高校生の主人公やそれを取り巻く仲間達にきちんと感情移入出来る映画だったと思います。うるっと来たし。

惜しむらくは、原作部分を読んでないのに『きっとこれもっと色んな部分があったんだろうなあ、それら全部を描けないのはきっと勿体無いんだろうなあ』と感じた部分。

 

これまでの劇場版は、TV版放映→劇場版は総集編って感じのが2本続いたので、TV版では13回というスパンで主人公、同級生、先輩などの色んな出来事を丹念に綴っていたのを劇場版で見ると『ばっさりすぎて勿体無いなあ』だったんですよね。

今回も劇場版にするために原作とは実際かなりばっさばさ切ってるそうなので(でもまとめ方は上手いと言ってましたね夫が)、今度は逆にTV版で細かくやったら良いのになーと思ったんですが、実際TVだと円盤売り上げの都合上出来ないから映画を作ったって感じだろうなって思いました。

 

TVのアニメでも多分すごく丁寧な作りをするアニメ制作会社だからなあ、そこらへんはものすごく売れないと次回作とか難しいのかもしれんなあと思いました。

 

とはいえ、TVでもクオリティ高い所なのに、劇場版になると『劇場版ではこのレベルは普通か?』と思ってしまう所もあり。

しかしこないだTVで見た同じように2期までTV、そして劇場になった作品を冒頭を見たのだけど、こっちはむしろTV版の方がクオリティ高かった。何で?劇場版の方が低いんだ?って感じだったので、同じクオリティ、そして細部にも気を配ってると感じられる作品だったなあと。

 

劇場に足を運んだけど、少し待ってDVD借りて見れば良いやって作品が結構多い中で、これは満足の劇場版だったなあと思いました。

人気が出た理由が分かってない

非常にお粗末な作品を制作して、それが売れるだろうと思ってる人間というのは何なのだろう?

 

最初の作品がヒットしたとしたら、何故それが売れたかを考えるのが商業というものではないか?

しかしアニメ、ゲーム、漫画などはそういう事をせずに、当たったらそれに乗っかって続編を作れば当たるだろうと安易に思ってる制作サイドのなんと多い事か!

 

実際、きちんと情報を収集して何故受けたのかを調べて、同じように続編を作っても当たる確立は低いかもしれない。

タイミング的な要素もあったりもするだろう。

 

でも、決してそれだけではないし、全く何もせず、最初の作品を継承すれば売れるかと言えばそんなはずがない。新しい作品は前作とは当たり前だが同じにはならない。

制作スタッフが変わったり、続編が制作されるのが数年空いてしまったりすれば、どんどん売れる可能性は低くなる。

 

話は変わって、どこの会社でもある事だが、人員が足りないという時に決まってただ人員を増やせば良いという風に言う上司がいる。

はっきり言えば、ただ人員が増えただけではこなせないのが仕事と言うものだ。

何故ならその場に必要なスキルを持ってない人間が幾ら増えた所で、元にいるスタッフの負担が増えるだけなのだ。

全くスキルは必要のない仕事ならば良いが、果たしてそんな仕事があるだろうか?

 

マニュアル化が徹底している仕事であっても、新人が入ってくればその教育係の負担が出来る。多くの人員不足の会社では、教育係だけをする人間などいるはずもなく、自分の仕事を沢山抱えつつ、安易な補充で入って来た人間の面倒みなければという、むしろ全く作業が楽にならないという事もままある。

 

これが前述の職種などでは余計に顕著に表れる。

漫画であれば、入ったアシスタントの力量でも変わるし、ゲームなら制作会社の力量でクソゲーにもなるし、アニメなら大炎上になったりする。

これも支持を出す部署の人間がちゃんとしてればそうはならない。

 

しかしそこは会社。

会社というのは3割の儲けを出す人間と7割のそうではない人間で構成されると言う。

上司が必ずしも儲けを出せる人という事もない上に、上になればなるほど、コネで入って本人自身が自分の能力レベルを全く把握してない人間だったりする。

その上、あろう事か自分を出来る人間だと思っていたりする。

 

今までは誰かの金の力やコネなどで生きて来たかもしれないが、そうそう露見せずにはおられない。

何故なら能力が低いが故に自己顕示欲だけは強いのがそういう人なので、自分からしゃしゃり出てくるものだからだ。