年齢=社会的年齢ではない

そんなのは当たり前の事なんだけども、職業柄どうにも精神年齢のみならず、社会的な年齢が不一致な人間が多いなと感じたのでちょっと吐き出し。

 

一般的な会社に勤めた事がない。なのでかほぼ周囲にいる人の精神年齢は若い。

外見もそれに比例して若い人が多いので年齢不詳の人も多い。

しかしやっぱり一応社会人なので、一応同年代と自分を照らし合わせて生きたいものだと感じる。

結婚してる人はどうしても家族を養う義務だのなんだので、嫌でもそういうものを身に付けていくものだけど『結婚しないでも特に不自由はない』とか『自分の事だけを考えて生きていきたい』という人はまあその機会を失ったまま年齢を重ねていく。

つまり同じ職種であっても、取り巻く境遇によって社会的な年齢に差が出てしまうという事だと思う。

そうなると、『今更そんな事言ってるの?』というような発言を聞いてげんなりしたりするのである。

 

自分で好んで選んだ道なので、そこは自分で責任を取ってもらいたいものなんだけど、誰かの責任を負っているという部分がなく年齢を重ねてていると本当に発言が幼稚だし、解決案にしても『そんなの簡単に出来る訳ないでしょ』というような事を言い出す。

ずっと雇用されてだけ来た人間というのは、雇用主の文句は言うが、何故雇用主がそういう事をするのかまでは分かってない。

ただ単にケチだと片づけてしまうけれども、雇用主は雇用してる人の報酬を払うために売り上げを出さねばならず、会社を存続させねばならない。

これはフリーランスになっても分かる事だけれども、自分だけであってもそれを食わせて行くのというのはものすごく大変である。

体に無茶が出来る若い年齢ならいざ知らず、ある一定の年齢になれば無茶は出来ない。低料金でたくさんのものを抱え込んで、何日も徹夜して納品してを繰り返す事などは出来はしない。

年を取っても体が強い人はいるだろうけども、無茶や無理というのは結局体に負担をかけている訳なので長続きしない。

 

こういう事を全部一人でやらなければならない、成功報酬のフリーランスというのは上司がおらず自分のペースで仕事は出来るかもしれないが、仕事を切れさせないように営業したり、納品するものの質を上げるなど、自分への負担が大きい。こういう事を一度でも経験しておけば、いかに時間拘束での給与制が有難いか分かると思う。

ただしフラックな会社に関してはそれは匹敵しないと思うけれど。

 

ともかく、そういうフリーの経験もなく、さらに私生活では結婚や他の誰かとの生活費を折半したような共同生活を営んだ事がない中高年というのは、かなり社会的年齢が低い。

そういう人の言う事を聞くと前に書いたように『今更?』って感じなのである。

 

中二病というものがあるけども、あんな感じ。

誰もが何となくそこを通過して来てると思うのだけど、良い年齢になってもまだその片鱗やそういう言動に自分自身が気付かず使ってる人を見ると、少し大人な同年代はまだそんな所にいるのかとゲッソリする。

自分が既に通過して来たものを今更見せられても誰も興味が湧くわけもない。もっと先を行ってる人を見たら自分も見習おうと思うと思うけど、そこに構う人というのは、マウントを取りたい人だけだと思う。

 

あと能力があっても結局行動をいつまでもしない人よりも、能力はそこそこでも思い立ったら行動をちゃんとする人の方が色んな事に結び付く可能性は高い。

その場で立ち止まってる事なんかは誰にだって出来る事で、もっと良い機会、良い話がどこからか来ないかと待ってるとか、誰もが『馬鹿か?』と思う事である。

能力があっても認められるかはその人次第。

その人がもし能力が高くとも認められてないのは、その人が何もしてこなかった責任だと思う。

 

はっきり言って、今から何かしてとかは非常に遅いし今後があるかは分からないけど、今まで怠惰に日々を送ってたツケがやって来たという事なので粛々と受け止めて頂きたい。